浜田文子プロフィール(プロレス版)

1981年2月14日メキシコシティーにてマリポーサ(空中)殺法で一時代を築いた
“小さな巨人“グラン浜田(現在全日本プロレス参戦)の四女(※1)として生まれる。
幼少期よりルチャ・リブレ(メキシコのプロレス)の世界に親しむ。小学校の頃から
空手を習い、メキシコではジュニアの大会で何度も優勝経験有り。
1995年父グラン浜田が「みちのくプロレス」を主戦場とするために生活拠点を日本に
移す。幼い頃から父にあこがれプロレスラーになることにあこがれていたが、アジャ
コングの誘いもあり1998年3月豊島区区立第10中学校卒業と同時に当時新進の
女子プロレス団体「アルシオン」に入団。デビュー前から写真集・ビデオの発売や
専門誌の表紙、ピンナップを飾るなどスーパールーキーぶりを遺憾なく発揮。
同年8月9日キャンディー奥津戦でデビュー。前人未踏の活躍でわずか1年たらずで
「アルシオン」のシングル・タッグのチャンピオンとなる。1999年8月29日には
「みちのくプロレス」群馬大会にて念願の父とのタッグを結成(日本人レスラー初の
親子(父娘タッグ))団体の中心選手であったアジャコングの退団後は10代の若さで
トップレスラーとして年間200試合近くをこなす団体を支えた。2002年1月団体を後に
してフリーとなり新間事務所所属となる。同年4月現在の主戦場であるGAEA JAPANマットに
伝説のレスラー北斗晶の引退試合で長与千種のパートナーとして初出場。GAEA JAPANに
おいても参戦半年でタッグチャンピオンになるなどその活躍はとどまらず、フリーの立場を
利用して多団体参戦をこなす。2003年5月日本一の伝統をもっていた全日本女子プロレスの
旗揚げ35周年記念横浜アリーナ大会にてメインをつとめ日本の女子プロレスラー至高のベルト
(赤いベルト)とも言えるWWWA世界女子シングルチャンピオンとなる。
同年は国内他団体参加だけでなくメキシコ・アメリカ遠征も行い数々のベルトを奪取。
当時ベルト保持数最高の5冠チャンピオンとなる。その幅広い活動が認められ暮れには
年間MVPともいえる女子プロレス大賞を受賞。GAEA JAPANにおいてもトップタイトルである
AAAWシングルをも奪取。その初防衛ではデビューから関係のあるアジャコングを退け自他ともに
認める日本女子プロレス界の中心人物となっている。
2005年より新たなステップとしてイスなどの凶器も使うルーダ(ヒールファイト)へスタイルチェンジ

※1 長女のソチ浜田も日本・メキシコで活躍した女子プロレスラー